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この写真は,6月頃庭でごちそうを食べた後のスナップです。
2000617日 我が家(名古屋)の庭にて 

2000.5.7  朝日新聞朝刊  「口笛」より
性別オス,大人。体重3㌔と少し。名前は「タヌー」。次女の晴子さんが名付けた。312日。鬼頭介弘さん(53)は,岐阜県高鷲村で,何かが道にうずくまっているのを見た。タヌキだ。足を痛め,道の脇の雪を越えられない。山の中で放そうと思い,箱に入れた。名古屋市の自宅に電話すると,妻の陽子さん(50)は「治るまで家に連れてきたら」。翌日,連れ帰った。安静にすれば治る,と介弘さんは考えていた。でも,何も食べず,けがの部位も分からない。やはり手に負えない。晴子さんが獣医を探した。すでに夜9時。20件ほど電話した。車で30分ほど走り,安田宗弘さん(46)の診察を受けたのは11時過ぎだった。検査の結果,骨盤を複雑に骨折していた。交通事故らしい。「タヌキは初めて」ながら,安田先生は熱心だった。先生の妻で高鷲村出身の清美(45)さんも,「同郷」のよしみで懸命に世話した。鬼頭さん一家もたびたび見舞った。2回の手術を終え,タヌーは,429日に退院した。問題はこのあと。野生で生きる力は,たぶんない。飼おうにも人になれない。一家は意見が分かれた。「自然の中が一番」と介弘さんが言えば,「それは殺すようなもの」と晴子さん。引き取ってくれる施設も思い当たらない。とりあえず庭の隅を囲い,タヌーの居場所を作った。しばらく回復具合を見守るつもりでいる。

その後
 45日後,かわいそうに思ってカラーを外してげると,次の日の朝は,もぬけのからだった。さっそく首輪も自分の力で外し,90㎝もある柵を乗り越えて,逃げていってしまったのだ。けがも治り体力もついた証拠だ。こで何を食べているのだろうと心配をしながらも,毎日エサを用意しておくと,1週間後には,庭に来てエサを食べるようになった。夕方になると,エサをやる食器の音を聞きつけて木の茂みまで来ては様子をうかがって食べるようになった。初めは,家の明かりが消え,庭が真っ暗になるまで用心深く待っていたタヌーも,だんだん慣れてきてこちらが見ていても食べに来るようになった。(写真)

だんだん夏が近づいてくるので,どうやって捕まえてふるさとの高鷲村に連れていったらよいか,安田先生にも相談しているうちに,パッタリとエサを食べに来なくなってしまった。
旅に出てしまった。
名古屋の暑さを乗り越えただろうか?それとも,ふるさとに無事帰っただろうか?心配は募るが探しようがなかった。 9月に入って,中日新聞に「中区でタヌキの死体」という記事が載っていた。タヌーであって欲しくない。
早く帰っておいで ・・・。

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